最近、文字でコミュニーケーションする場面って、急激に多くなっている気がします。パソコンや携帯のメール、インターネットの掲示板やブログ・・・。(このメッセージ帳にしてもそうですね。)

特定の人や不特定多数の人にむけて発信する訳ですが、その難しさに最近改めて思いをめぐらせています。昔は、文字のコミュニケーションといえば手紙か、交換日記(?)とかでしたね。

故、星新一さん(SFショートショートの巨匠)の作品が好きで、少女時代読んでいた時期があったのですが、ウィットとユーモアに富んだ作品集の中に、ちょっとシリアスな短編があって、正確には覚えていませんが、こんな言葉がありました。「人は言葉なくして育んだ愛情を、言葉にして一瞬に失ってしまう」中学生だった私には、お恥ずかしいですがどういう意味がわかりませんでした。でもさすがに今は、わかる気がします。

ボッコちゃん (新潮文庫)

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相手の表情、相づちの声の調子、場の空気、すべてが解らないまま文字だけで進んでいくコミュニケーションの危うさに鑑みると、よほど相手の人の立場を考える想像力か、信頼関係という土台がなければ、お互いに悪気はないのに誤解してしまったり、かえって距離感を広げる結果になってしまったりするかもしれません。それでは残念です。

かといって、真心の入らない冷たいあたりさわりのない表現だけでは、お互いに社交辞令のキャッチボールをしているだけで空しいですし。そのへんの感覚は、やはり磨いていくしかないのでしょうか。本当に難しいところです。

お互いに多忙な毎日を送るなかで、気軽に相手の人にコミュニケーションできるツールとして、インターネットは発達し、その便利さを享受していますが、本当に大切なことを大切な人に伝えるときは、実際に目を見て話合うのが一番ではないかと思います。

インターネットの便利さの陰に潜む危うさにはまりそうになる自分を(反省もこめて)つねに律したいと思う今日このごろでした。