今日で、阪神大震災から11年目なのですね。

当時私は大阪市内(北区)に住んでおりましたが、明け方に大きな揺れを感じ目を覚ましたときは半分寝ぼけた状態で、最初何が起こってるか把握できませんでした。

それまでの地震と規模が違い過ぎ、棚からガタガタとものが落ちてくる音で、大地震や!とやっと目が覚め、なぜかとっさに飛び起きてベランダの戸を全開にし、(鉄製のドアなどが歪んで閉じ込められるという話を無意識に覚えていたのでしょうか)机の下にもぐって余震に震えておりました。

やっと揺れが収まりましたが、電話もテレビも停電のため使えず、とりあえず実家が心配だったため手探りで着替えを探し、自転車に飛び乗って実家に向かいました。情報がなにもないため、また大きく揺れるかも、とか、実家のあの大きな家具が倒れて家の者が下敷きになっていないかなど不安でたまらず、お恥ずかしいですが半泣き状態で実家に到着いたしました。

幸い、被害は食器棚の中の食器が割れて散乱するとか、タンスの上の衣装ケースが落下するなどで済んだようで、ひと安心しましたが・・・。

復旧したテレビのニュースでは、その時点では大阪は震度4と報じていましたが、のちには震度5弱位だったのではないかと分析されていました。

のちに、大阪の被害など比べ物にならない位の、兵庫県の長田地区や尼崎地区などの被害がだんだん明らかになってきて、黒煙をあげて燃え上がる市街地や、横倒しになったビルや、橋脚がまっ二つに折れ巨大な高速道路が横倒しになっている様子など、ショッキングな映像が次々に報道されていきました。

2~3日は余震が続き、被害が大きかった地域の知り合いの方の安否を確かめるなど、不安な日々が続きました。あれからもう11年たちますが、記憶は鮮明に残っています。

(私などよりももっと恐ろしい思いをされたり、大きな被害に会われた方で、もし嫌な思い出を蘇らせてしまったとしたら本当に申し訳ありません・・・。)

今改めて思うのは、自然の猛威の大きさを認識して風化させず、なにごとにも安全神話という言葉を常に疑うべきということを、教訓として思い返したい思いがありまして・・・。

失われてしまった、あれほど多くの方の尊い命のためにも・・・。

 

 

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