「障害児の出産、『茨城では減らせる方向に』教育委員発言」

まさか、教育委員の、しかも女性の口からこんな発言を聞こうとは思いもよらなかったです。

もしも、長谷川氏の家族、身近な大切な人に、障害児と呼ばれる人がいても、同じ発言ができたでしょうか?

あまりの酷さに怒りで震える思いでした。

少なくとも私は、大切な愛しい家族である弟に、最大限の侮辱を受けた気持ちでした。長谷川氏の言動に怒り抗議した皆さんの中にも、私と同じ気持ちの方は多いのではないでしょうか。

発言当初は、茨城県知事の橋本氏も、「問題ない」と擁護していました。

現在、長谷川氏は謝罪し辞職を申し出て、知事も発言を撤回したそうですが、世論の批判がなければ、長谷川氏もそのまま教育委員の座にとどまっていたことでしょう。

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新しい命を宿したお母さんが、母体の健康上やさまざまな事情により出産を諦めざるをえない場合も、もちろんあると思います。それが健常児であっても、障害児であってもです。

しかしそれは、おなかに宿った子の家族が決めることと思います。家族それぞれに、違った事情を抱えているでしょうし、苦しんだ末に辛い決断をせざるをえない場合もあるでしょう。それは、尊重されるべきと思います。

しかし、それを行政指導でひとつの方針として進めようという考えだからこそ、酷く異常で恐ろしい印象を受けました。

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一億総活躍せよと叫ばれる時代…

経済発展に貢献しないとされる、社会的弱者の人々…障害者を排除しようという考えは、かつてナチスドイツで行われたT4作戦を思い起こさせます。

極端だと思われる方もいらっしゃるかも知れませんが、それを正当化した優性学思想と根本はなんの変わりもないと私は感じました。

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「自分の県では減らせる方向になったらいい」と氏が言った「減らそうとした」ものとは、まさに、命。

さまざまな喜びや悲しみも、苦しみも、抱きしめながら共に生きる大切な命なのです。

「生まれてきた子どもたちの命はすべて大切なものと考えております。」と撤回コメントで長谷川氏はとってつけたように述べていますが、自分がどれほど酷い発言をされたか、自覚がないからこそ出た白々しいコメントでしょう。

生まれてから障害を持つ子どもたちも(私の弟もそうです)、成長してから病気や事故で突然障害者になる人もいます。でも、「障害を持つ子どもは生まれてこない方がいい」という考えが当たり前になっていけば、障害を持つ人たちは生きる尊厳を奪われてしまいます。

長谷川さん、あなたも、ひょっとしたらご自身が障害を持って生まれてきたかも知れないし、生まれた後で障害を持ったかも知れないのですよ。

障害を持たなくとも、さらに高齢になって、もし寝たきりになって介護されるときがきたなら、「私の存在は社会に負担になるから、消してしまって下さい。」とご自分から申し出るのですか?

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