ジャーナリスト、後藤健二さんが、いわれなき暴力の犠牲となって、命を落としてしまわれた…。

何とか、無事生還を実現させたいと願っていたご家族やご友人の方々のご心痛は、いかばかりだろう…心からお悔やみを申し上げたい。

常に弱者の立場に立ち、真摯に報道に取り組んでこられた後藤さんにとって、一時でもテロリストの主張をアナウンスせざるを得なかったことは、どんなにか悔しく屈辱的なことだったろう。ご無念なことだったろう。

でも、後藤さんは、ご自分が犠牲になったこの事件をきっかけに、対民族・宗教どうしの憎悪が激しくなることだけは望んでおられなかったはずだ。

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一部の心無い凶悪犯への憎悪が、対民族・宗教への憎悪になってはいけない。

今回の事件で、世界各国の敬虔なイスラム教徒の方々が、湯川遥菜さんと後藤さんの無事を祈ってくれたことを忘れてはならない。

だが残念なことに、ヨーロッパなどで、対イスラム教徒の方々への偏見や排斥が目立ってきているらしい…なんと残念で恐ろしいことだろう。

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表現の自由はとても大切なものだが、他の信仰を侮辱するべきではないし、他者を傷つけてよいことにはならない"…フランシスコ・ローマ法王もこの旨言及されたが、その通りだと思う。日本における昨今の過激なヘイトスピーチにもあてはまるのではないだろうか。

憎むべきは、いわれなき暴力を手段に目標を達成しようとする卑劣な行為と、その実行犯の集団に他ならない。肌の色や信仰の別で人々が憎しみ合いを募らせれば、テロリストの思うツボだ。

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自分と異なる文化や信仰に敬意を払うことができ、様々な肌の色、言語の人々が手をつなぎあえる寛容な社会…

そんな成熟した世界をすぐに目指すことは難しいかもしれない。

でも、正反対の方向に突き進んでいけば、次の世代の子供達には、もう平和な世界を残せないだろう。