調理はあまり得意ではないが、必要に迫られて、台所に立つことが多くなった。
趣味で好きなものだけを作っているときと違い、雨の日も風の日も、毎日献立を考え、食材に無駄の出ないよう調理してきた母の偉大さに、今さらながら感服する…
母も疲れやすくなったものの、やはり料理をするのは楽しいようで、自分が下ごしらえを済ませて、味付けは母がすることが多い。
卵一つでも、色々な調理法がある。ゆで卵、目玉焼き、オムレツ…
食べる人の体調に合わせ、食欲に合わせ、同じ調理法が続いて飽きないように工夫しなくてはならないのだから、料理ってすごくコーディネート力を要求されるものなのだなぁ…としみじみ思う。
自分が、ものを作り出すための素材だったらとしたら、どんなアレンジやコーディネートをすれば一番よい味がでるか、知っていなければならない…
今までの自分は、それを人任せにしたあげく、味付けや調理法まで、望まれるものに応えるのがベストと思っていたふしがある。それで5つ星のメニューができるならと。
でも結局、どんなに一見高級で、食通をうならせる一皿であったとしても、それは所詮、自分以外の素材でもいいし、いくらでも替わりのきくものでしかないのだと、この年になってやっとわかった気がする。
どんな風にでも調理できる素材として、自分を扱ってはいけないのだ。
引き出しは多いほどいい。それは確かだが、心の琴線に触れないものまで、他の人に無理強いしてもしかたない。
表現する事は強要されてやるものじゃない。
(もちろん若いうちは、なんでも驚異的に吸収する力があるし、苦手なものも積極的に接してみるのもいいかもしれないが…)
こうするべき、ああするべき、ではなく、こと表現することに関しては、ワクワクするものへアンテナを最大限はり、素直に心の羅針盤に従って進んでいけたらと願う。
今の自分は、アンテナの感度が落ちているのだろうか…
羅針盤の針は、あちらへ向いたりこちらへ向いたりで、なかなか定まらず、迷いの中にいるような気がする。
でもきっと、もうすぐ濃い霧は晴れて、光が進む方向を照らしてくれそうな気がする。
あなたも、あなたという素材を活かして、自分だけにしかできない世界を、ぜひ見つけて欲しい。
Recent Comment