明日、大阪都構想の是非を問う住民投票が行われる。

自分は現在は吹田市民やから、投票権はない。ただ、幼少のころから長らく大阪市民やったこともあり、気にはなっていた。

正直なところ、大阪都構想がどういうものか、お恥ずかしながら具体的に把握できていない。大阪市民でもない自分が意見するのはおこがましいかもしれないが、個人的に思うところを綴らせて頂いた。

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本日、某テレビ報道番組で、橋本市長と市議会野党の幹事長クラスの方々との討論番組をやっていた。いまひとつ解りづらかった大阪都構想について、橋本市長が視聴者の疑問に答えたり、野党側と意見を交換する形だった。

橋本市長の熱意は、充分に伝わってきた。東京に負けない大都市に大阪を成長させるために、長期的で大規模な改革が必要だと。

確かに、二重行政の産物とされる、WTCやフェスティバルゲートその他もろもろの末路は「もったいないなぁ」と思うに充分なものだったし、現状を変えるということについて、嫌悪感だけを示さず、大阪をよくする考えは取り入れていくのは必要だと感じた。

野党がヒステリックに恐怖宣伝をしすぎている、と橋本市長は主張していたが、具体的にどんなメリット、デメリットが起こりうるのかということについても、活発な討論により、大阪都構想初心者にも解りやすく伝わってきた。

政党間のライバル関係や、この住民投票が国政に及ぼす影響が、この討論を「大阪をよくしよう」という純粋な思惑から離れたパワーゲームにさせていた感はあるが…

現状に風穴を開けてやろう、という橋本市長の気概には大いに感銘したし、時代の寵児ってこういう政治家なのかなぁ…とも感じた。

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ただ、一番気になったのは、橋本市長が、大阪都構想によってかかるであろうコストの財源を、「多くのムダを減らし、それによって生み出される財源」と何度も言っておられた点。

その財源を、福祉や教育、医療に当てると仰っていた。

私ごとだが、私の弟は身体障害者で、車椅子の生活を送っている。子どもの頃から、長居にできた「身体障害者スポーツセンター」をこよなく利用させてもらった。

しかし、橋本維新大阪市政下で、施設の老朽化などを考慮して、廃止を検討されたことがあるのだ。

必要性を訴える市議らの要望を受けて当面は存続が決まったが、障害者がバリアフリーの設備でスポーツを楽しむことができる、数少ない、大阪の誇る施設だと思う。ムダを廃止して財源を確保するために、橋本市長はこのような施設にも、白羽の矢を立てていたことに、失望を禁じ得なかった。(以下は参考記事のリンク)

http://www.sankei.com/west/news/141012/wst1410120027-n1.html

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大阪フィルハーモニー交響楽団や、大阪の伝統芸能・文楽への補助金削減の試みについても、賛否は人それぞれだと思う。

「文化は行政が育てるものではない」と公言されていたという橋本市長のご意見も、ある意味もっともかもしれない。

しかし、文化は、一度根絶やしにしてしまえば、後継者も絶たれ、消滅してしまう。大阪を特色豊かな街にしたいと今日の討論でも市長は何度も仰っていたが、古典芸能も死滅した大阪の街は、日本の人たちから、世界の人たちから、はたして魅力的に映るのだろうかと考えさせられてしまった…。

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橋本市長が、削減したいとしている「ムダ」は、一部の人々の利権だけを満足させている正真正銘のムダが大半だと信じたい。しかし、市長の目指す理想の大阪像が、前述の懸念から、どうも見えてこないというのが正直な感想だ。

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身体の不自由な方、お年寄り…社会的弱者といわれる人々に手厚すぎると、福祉の切り捨てが行われつづけているのが実感の昨今の大阪。

「東京に匹敵する都市に」「世界に躍進する都市に」という橋本市長の目標は素晴らしいと思うし、その目標のため、切り捨てられるべきものも当然あるのだろう。

しかし、高齢化社会が進むこれからの日本で、「発展」のみを求めていいのだろうか。いま、弱者の立場で不安に暮らしている人たち、いつ自分が弱者になるかもという不安を抱える人たちにとっては、自分が、家族が、しあわせに心やすらかに暮らせることの方が大切なのではないか。

少なくとも自分はそうだし、切り捨てられる側と実感したスポーツセンターの閉鎖案は大きな出来事だった。

明日の結果は、いまから推し量ることもできないが、もし、大阪都構想が大阪市民の方々の間で支持を得た場合も、より暮らしやすく、魅力的な大阪になってくれることを願うばかりである。